南海放送50年史
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創立25周年記念事業、民放全国大会が無事に終わった1978(昭和53)年12月25日、定時株主総会後の取締役会は代表取締役会長に平田陽一郎、代表取締役社長に門田圭三を選任した。また、常務取締役に岩井定美が昇任し、大西越丙、細田新とともに3常務体制となり、佐々木清、池内央、大内信也のこれまた生えぬきの社員が取締役に就任し、経営に参画することになった。門田新社長は戦中戦後、朝日新聞記者として活躍したジャーナリスト出身である。戦前は、海軍省詰めの社会部記者として従軍経験を持つ。吉田茂首相への単独インタビューをものにするなど活躍した。1962(昭和37)年、南海放送に副社長として迎えられて以来、組織の整備と諸規定の制定、労働組合活動との交渉にも自ら率先してあたるなど、経営の近代化に力を注いだ。道後樋又の放送会館建設、民放他社に先がけての営業管理のコンピュータ化、地域の人々との交流の広場としての南海放送本町会館の建設、創立25周年記念事業の準備、松山市における民放全国大会の運営など、常に陣頭で指揮をとってきた。就任後の年頭挨拶で、「80年代は成熟社会となり、これからの花形産業は文化事業です。その文化の担い手は私たちであり、あらゆる勉強と準備を進める必要があります。同時に私たちに要求されるのは、謙虚さと高い倫理性です」と、放送の社会的責任の重さにふれ、全役員、社員に奮起をうながした。この時期、わが社のもう一つの重要な課題は、労使関係の労使紛争の和解門田社長の就任と新経営体制126第3章 総合文化産業への出発第4代社長 門田 圭三

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