南海放送50年史
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第3章 総合文化産業への出発1953(昭和28)年「新しい地域文化の創造」を経営理念に、南海放送が愛媛で最初の民放として誕生して25年。手さぐりの歩みから始めた放送事業ではあったが、テレビの急速な普及、広告費のめざましい伸長などの経営環境に恵まれ、ローカル民放としての地歩を固めてきた。生え抜きの社員が経営陣に加わり、若々しい活気が社内に満ちていた。この年(1978年)の秋、松山市で第26回民放全国大会が開催されることになった。前年、熊本市で開かれた民放大会において、愛媛放送とともに次回全国大会を運営する幹事社に指名された。わが社は、さきに創立25周年記念事業委員会をスタートさせていたが、さっそく民放全国大会実行委員会とその事務局を立ち上げて、二つのプロジェクトを関連させながら準備を進めることにした。創立記念事業では「25周年を新たな飛躍への節目として、企業体質を強化し、日常活動をより積極化する」との基本方針が決定された。すでに元日のラジオから15時間を超えるスペシャル番組が放送されるなど、多彩な放送活動が開始されており、報道・社会番組制作の取り組みも活発となった。原子力発電所の安全性についてわが国初の司法判断として注目された「伊方訴訟」の判決を全国中継したほか、造船不況による波止浜造船の倒産を主題に取り上げた『NNNドキュメント’78・社長は大声で哭いた』などがある。一方、日常の放送活動のかたわら、4本の25周年記念特別番組が制作された。その一つ、俳人正岡子規の生涯を描いた創立記念行事と民放大会第2節創立25周年114

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