南海放送50年史
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南海放送ラジオは1953(昭和28)年の松山局、1956(昭和31)年の新居浜局、宇和島局の開局で3局体制となっていた。その後も空中線電力の増力につとめ、一応全県をカバーするかたちになっていたが、横に長い複雑な地形から電波が届きにくい難聴取地域がまだ残っていた。わが社はかねて今治、八幡浜両ラジオ局による5局体制を郵政省に申請していたが、1975(昭和50)年11月、ジュネーブで開催されたITU(国際電気通信連合)の会議において長・中波放送に関する地域協定が締結された。郵政省はこれにもとづきラジオ周波数割当計画を策定し、今治、八幡浜地区を受信改善地区として周波数が割り当てられた。こうして20年ぶりのラジオ局建設が着手された。1977(昭和52)年9月、八幡浜市松柏、今治市国分に出力100ワットのラジオ局が完成、運用を開始した。周波数は松山局と同じ1120kHz。周波数を効率的に利用するために、精密同一周波放送(同期放送)となった。この方式が採用されたのは全国で4番目である。今治-松山-八幡浜間は同一周波数のため、走行中にカーラジオを聞く場合でもダイヤルをまわす必要がない。ラジオに移動体メディアとしての活路が拓かれたのである。また、両局の建設に合わせて、まわりに住宅地が立て込んできた宇和島ラジオ局を、市内寄松から海抜140メートルの川内陣ガ森に移転した。創立25周年は来年に迫っていた。南海放送の基礎となったラジオ経営にも地域密着の徹底、5局体制という新時代への飛躍がはかられた。ラジオ5局体制へ113第1節 新たな地域貢献活動今治ラジオ局舎八幡浜ラジオ局

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