南海放送50年史
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トした。苑生募集は6月から開始したが、お盆を過ぎるころから申し込みが相次ぎ、目標を上回る1,200名に達した。絵画、書道、家庭料理、茶道、陶芸、手芸、実用英会話などでは定員を上回り、他の教室や次回予約をお願いするほどの盛況であった。絵画、写真、陶芸などの教室からはのちに県展や全国展での入選者が次々あらわれるほどレベルの高いものとなった。古典文学に対する関心も高く、村山リウ氏による特別講座「源氏物語の女性像」はいつも満員となった。「本町会館落語名人会」、営業開発局事業部による「大阪テレマンアンサンブルの室内楽コンサート」、「小松原庸子スペイン舞踊」など多彩な催しに人気が集まった。また、自社制作のテレビ番組『奥さまと20分』に学苑講師が招かれるなど、放送活動との結びつきもはかられ、視聴者との接点となった。本町会館の落成を飾った行事の一つに、第12回民教協全国大会がある。民教協(財団法人・民間放送教育協会)は民放32社が加盟し、文部省の委託をうけて社会教育番組の制作・放送にあたっている。その活動を集約し、視聴者による放送利用を高めるために、毎年、社会教育関係者、放送利用者の参加を呼びかけて地域ブロック毎の研究協議会と全国大会が開かれる。その主管局には地元局があたることになっていた。わが社も1971(昭和46)年には松山市民会館を会場に、中四国研究協議会を運営し、1973(昭和48)年には盲目の中学生武久源造君を主人公とする『親の目子の目・チェンバロを弾く少年』を制作、全国放送するなど熱心に活動していた。全国規模の大会運営は初めての経験ではあっ民教協全国大会の開催103第1節 新たな地域貢献活動本町会館で開かれた第12回民教協全国大会

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