南海放送50年史
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サーの顔と声が知れ渡り、社の看板になると同時に、CMへの指名が増えるなど、大きな付加価値も獲得した。一方、送り手側でも若い魅力が台頭した。中継装置付きの車で生ワイド番組に、県下から情報を送り届けた。ドライブキャスター“キャピイ”である。ラジオに登場したのは、1972(昭和47)年であった。それまでは、ラジオの中継にはジープやラジオカーを使用、その都度アナウンサーを乗せて現地におもむくのが常だったが、行動も制約されがちだった。キャピイは、女性キャスター二人が運転とリポートを兼務した。行動も俊敏だった。スタンバイにも時間がかからない。なによりも、若い女性キャスターの明るいリポートが生ワイドに活気を与えた。この「キャピイ」という愛称は社内公募され、東川稔が提案したものだった。キャスターの頭文字と無線が終了する時の「ピッ」と鳴る音を組み合わせての命名だった。1972(昭和47)年2月21日の採用試験には100名の女性の応募があった。その中から7人を1期生として採用した。彼女達が乗る車も用意された。白いボディにセルリアンブルーとピンクの曲線が入った3台のナロー無線付き乗用車が「キャピイカー」として配置された。4月7日、松山市井門町に新しく完成したラジオ送信所の落成式で初めて声を電波に乗せ、6月5日からの生活情報番組『なんかいリビングロータリー』で正式デビュー。その後、キャピイは、夕方の『みゅうじっく・まらそん!』など、生番組でも交通情報を入れるようになった。局のアナウンサーにはない個性と新鮮さが人気を呼び、とくに長距離ドライバーのマスコット的存在となった。キャピイはさまざまな番組で機動力を生かしながら生活感のある情報を伝えている。聴取者との距離感を埋め、生活情報リポートに双方向性をもたらし、聴取者と送り手を身近な存在にさせた功績は大きい。92第2章 大いなる飛躍へ揃いのユニフォームを着たキャピイ揃いのユニフォームを着たキャピイ

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