南海放送50年史
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作参加社も変わった。わが社は、この番組制作参加によって、生中継のノウハウを取得したが、それとともに、県内各地の視聴者と触れ合うことができた。そして、すたれかけていた民俗芸能や、伝統行事の復活にも寄与することができた。サンゴ礁で有名な宇和海海中公園から生中継を行うため、全国初の海中カメラ用ブリンプを開発、1971(昭和46)年8月21日のワイドサタデーで使用した。海中カラーカメラ用ブリンプは、川崎市の島野製作所に依頼し作った。同時に海中マイクも開発、海中から美しいサンゴ礁の映像を撮影しているカメラマンと、陸にいる司会者が会話することに成功した。この「海中カラーカメラ用ブリンプの開発と海中生中継方式の実用化」は、1972(昭和47)年の連盟賞優秀賞を受けた。番組は1983(昭和58)年3月まで続いたが、景況の変動で営業活動も苦戦、629回で放送を終えた。1973(昭和48)年、愛媛県教育委員会は家庭教育(幼児期)相談事業をスタートさせた。それにともない南海放送にテレビ番組の制作・放送が委嘱され、テレビ番組『はばたけ3才』が始まった。社会教育課成人教育係の篠崎嘉一氏らから、番組制作の企画指導を受けた。県下の第一子3歳児の家庭1,000戸を対象にした大きな事業の初年度とあって、課長の土居通弘氏をはじめ同じ成人教育係の阪本定雄、満田泰三、関谷佐鶴子の各氏など社会教育課あげての支援と監修をうけた。15分の番組とはいえ、幼児の生活記録を毎週テーマに沿う形で取材しなければならない。土居俊夫テレビ制作部長は報道制作局内にプロジェクトチームを作り、これに対応することにした。そして、1973(昭和48)年8月5日から1週間に1家庭教育番組『はばたけ3才』89第3節 創立15周年 民放2局時代開発した海中用ブリンプで生中継『はばたけ3才』の取材

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