南海放送50年史
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愛媛放送の演奏所設備は、自動送り出しコンピュータ、カラーVTR2台、カラービディコンカメラ3台、モノクロの中継車一式などであった。自社制作は、開局当初、夕方16時45分から5分間のニュースにとどまっていたが、夕方から夜にかけて、『夜のゴールデンショー』、『スター千一夜』、『銭形平次』、『プロボクシング』などの強力な人気番組を編成した。平田社長は、愛媛放送の開局を祝う言葉の中で、「民放の経営の難しさの一点は、社会的使命と企業性をいかに調和させるかである」と述べたが、それは、南海放送のあり方をも示唆するものでもあった。愛媛放送が開局後の、1970(昭和45)年1月の新年祝賀式で門田副社長は「ひとつにはコンピュータの導入、二つ目としてコンピュータを利用した販売資料の充実、三つ目にマーケティング・リサーチの促進、そして四つ目に社内事務の合理化・簡素化をもって、競合時代に対応する」と、新局対策を含めた新しい方針を示し、社員に一層の研鑚を促した。愛媛放送開局の前年、細田新制作局長を中心に、日曜日朝の大型番組の企画が練られた。企画書には、「幅広い視聴者層を対象にしたローカルの特色を生かしたニュース性のある社会教養ワイドプロ。初代の司会者は香川忠孝、高石佳代子アナウンサーを起用」とある。放送枠は日曜日の朝8時~9時をあてた。キー局制作の月曜日~金曜日朝のウィークデーのワイドショーや、土曜日朝のワイドショーが定着している中、ローカルのワイドショーを手掛ける局はまだ少なく、スタッフたちは、今までやったことのないことをやろうと、全員がプランナーとなって企画に取り組んだ。タイトルは『なんかいサンデー8』とし、1968(昭和43)年7月7日の第1回放送にこぎつけた。この日は、七夕選挙といわれた参院選の投票日で、投票所『なんかいサンデー8』放送開始81第3節 創立15周年 民放2局時代愛媛放送『なんかいサンデー8』スタジオ収録

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